建築・インテリア

消え行くもの

戦後日本を代表する建築家の一人であり、商施連(商業施設技術者団体連合会)の2代目会長を務められていた「違いのわかる男」(これを知っている人は相当古い)清家清氏の初期の代表作『斉藤助教授の家』が取り壊される事になったそうです。これを受けて急遽行われた東工大の主催による見学会に縁在って参加する事が出来ました。

実のところその名前を知るのみで殆ど予備知識無いまま見学させて貰ったのですが、床から天井に至る大きな開口部が全開し、リビングから眺めの良い庭を通して彼方に横浜方面と思われるビル群を一望する事が出来る。そのドラマチックで爽快な眺望や、外光を柔らかく取り入れてリビングとダイニングを切り分ける鮮やかさにうなった。

昨今建築を語る事がある種のブームとなり、リノベーション(再生)やリユース(再利用)が叫ばれていたりもする。
それでも時代や町並みの顔となり、建築家個人の思想の具現化とも言える貴重な建築物が主に効率性や経済性の観点から取り壊されて跡形も無く成ってしまうという現象は今だに後を断たちません。
確かに建築は使われてナンボの実用品であり、飾って楽しむ美術品ではないのだから仕方ない。と言ってしまえば実も蓋も無いが、小規模な住宅建築とはいえ古い建築物を維持して行くのは手間とお金がかかる訳で、ましてや個人で維持して行くのは確かに並み大抵の事で無い事はわかる。
加えて土地に定着しているのが建築の定義ならば、仮に運良く何処かへ移築保存されたとしても本来の居場所を離れてしまった建築物は或る意味標本、良く言ってモデルハウスにすぎないと言えない事も無い。

でもそれならばそれで良い、或る時代、或る場所、一つの理想を建築の形に具現化した創作の賜物なのだ。純粋な保存が無理ならば新たな用途で再利用、という手だってある。個人に負わせるには重すぎるなら行政に、行政にその余裕が無いならばせめて関連の在る組織や団体が維持管理に参加出来ればとも思う。遅きに失したという事なのだろうか。

ともあれ、皆がGW中に遊び呆けて東京に戻って来た時には綺麗さっぱり更地となって、後は人々の記憶と記録の中に残るのみ。
南に開けた気持ちのよい縁側に立って「ああ〜勿体無いな〜」と思った午後でした。

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仕事人

プロジェクトXの後番組として毎週木曜日の夜に放送されている「プロフェッショナル:仕事の流儀」という番組。高度成長を支えた仕事集団としての日本人、集団を支える個人というスタンスで放送されていた前番組に対して、あくまで「個人としての仕事人」を紹介する番組に変貌している。
毎週観ている訳では無いが、18日の「仕事人」はライティングデザイナー内原智史氏、最近各地で“暗いライトアップ”を仕掛ける売れっ子照明デザイナーだ。
で、新聞の朝刊TV欄でこの人の登場を知る。
私事だが10年少し前、石井幹子氏の元から独立して間も無い氏に仕事をお願いした事が有る。私自身は程なく会社を辞めてしまったので、その後その仕事がどうなったのかは良く知らないが、打ち合わせの際、対象に直接光を当てるのでは無く気配を感じさせる様な照明にしたい云々と言う様な主旨だったか、そんな感じの話をされていたのを思い出した。その時も随分面白い事を言う人だな〜と思った様に記憶している。その後人づてに仕事が無いという話を聞いてはいたが、当時食費¥3000/月で暮していたとは・・・。
今では都心各所の再開発計画に照明演出家として係わる氏だが、物に光を当てず影を演出する、照明に頼らない照明演出家としての個性的な発想はそのままのようだった。
それにしてもまさに「継続は力なり」仕事をする上で大切にしている心構えは何か?という司会者の質問に対する答えは、冷静さを保ちつつ熱さを秘め続ける事だそう。その後の自分を顧みて考えさせられる言葉ではある。

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万世橋駅遺構公開中

中央線の快速電車が神田を出てお茶の水へと向かう途中、交通博物館付近を通過する辺りの線路の脇にプラットホームの様な構造物が有る事に気付かれた方はどのくらいおられるだろうか。実はこれ、且つてこの場所に有った甲武鉄道(現在の中央線)の始発駅、『万世橋駅』の遺構なのだ。

かつて存在したこの万世橋駅跡にあるのが、かの有名な『交通博物館』。昭和11年の開館以来多くの鉄道好き、乗り物好きの子供達の憧れの場所だったわけで、私もその1人でした。社会人となってからも一部展示資料の再利用に関するお手伝いという形で係わらせてもらったこの施設が、さいたま新都心への移設に伴って本年の5月を最後に閉館する事になり、今、建物の奥にひっそりと眠るかつての万世橋駅の遺構が期間限定で公開されています。

駅の遺構とはいっても辰野金吾の設計に拠る重厚な駅舎は関東大震災で既に焼失しているので、倉庫として使われていたという駅脇のレンガ積みガード下空間、プラットホームの遺構とホームに上がる通路など一部分が残されているだけなのですが、第二次大戦の戦火をくぐり抜けて来たにもかかわらず思いの外綺麗に保存されており、50年間の時が止まっているかの様な風情はなかなか見応えが有ります。また新幹線やSLの先頭部、渡り廊下や屋外展示物等々色々な物が取り付いているので分かりにくいのですが。改めて眺めてみると博物館の建物自体シンプルな「バウハウス様式」である事が確認できます。

きらびやかでけばけばしく、現代のオタク達に支持される「アキバ」に隣接する事僅か数百メートル、かつての乗り物オタク少年の憧れ『交通博物館』は静かに役目を終わろうとしています。

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イタリア文化会館:春爛漫

先日九段のイタリア文化会館を巡って巻起こっている景観論争について書きましたが、実のところ現物に関しては、以前現地を訪れた際に内堀通り側から見上げただけでした。
一昨日桜を見ようと千鳥が淵に出かけた際、千鳥が淵側からこの建物を眺めて印象を新たにしてきました。
この建物、眺める場所によって印象が大きく異なります。

内堀通り側の、それこそローマ遺跡のような威圧的な様子とはまったく異なり、千鳥が淵側はべんがら格子をイメージさせる端正でやさしい表情を見せています。その表情を満開の桜越しに眺めていると景観に合わないどころか「この色、この形しかあり得ない」という感じさえしてきます。思うに建築家は満開の桜に囲まれた艶やかな春の様子が見えていたのではないか。
花鳥風月、王朝文化や伝統建築への深い理解が感じられるのです。見えていなかったのは我々日本人の方でした。

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またまた余談ですが、
のどかな田園地帯に突如出現して景観を台無しにする一部の商業施設やアミューズメント施設。趣味の悪い広告看板。
本当のところ景観を論じなければならないのは都会ではなく、地方や近郊ではないかと思うのです。


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イタリア文化会館:景観論争に想う

昨年の末、改築して間も無い九段のイタリア文化会館で開かれたエトルリア展に関する記事をアップした。そのイタリア文化会館が今、景観論争を巻き起こしているらしい。
私も実際に訪れて建物全体が「真っ赤っか」とは言わないまでも、イタリア国旗を思わせる赤白緑の大胆な配色なので正直度胆を抜かれてしまったのだが・・・。
赤は日本の漆器をイメージした色だとか※、これでも景観に配慮して当初の計画より若干彩度を落としたのだそうで、確かに一見派手ではあっても微妙に彩度がコントロールされていて赤というより明るいえんじ色といった印象が強くしばらく見ているうちに馴れてしまう。
私自身は、皇居の緑を背景に夕日を浴びてより赤みを増したビルの外観を見上げながら、この色をこの配色で下品にならず使いこなせるセンスはさすがデザインの国とむしろ好感さえ抱いてしまった。これが銀座や表参道辺りであればお洒落なビルと言う事で何の問題もなかったろう。

私の記憶違いかもしれないが隣接して建つ高層マンションも以前、皇居を見下ろす高さと言う事で物議を醸していた様な気がする。
今回はイタリア文化会館の壁の色がマンションの室内に映り込んでしまうという実害も発生しているのだとか。日本の都市の無計画な経済効率偏重ぶりが良く解るエピソードという気がするが、色彩の心理的影響は馬鹿にならない。何でも改築される前のイタリア文化会館は蔦の絡まる古いお屋敷建築だったそうで、古いイタリアと新しいイタリア、あまりのギャップに“困惑”するのも確かに無理は無い。
その一方で地元住民の意見として「ローマの遺跡の様な重みの有る色」という提案が出ているらしいのだが、イタリアの建築=ローマ遺跡と言う発想は・・解らないでも無いにせよ日本の建築=桂離宮と言っているのと同じようなものでこれはこれであまりに一面的な見方ではないだろうか。

ここからは余談。
千代田区の美観地区ガイドプランでは「首都の風格にふさわしい景観」「水や緑と調和したシルエット」をうたっている(らしい)。
明治維新以来、地震、戦争、高度経済成長、バブル経済と何度となくスクラップ・アンド・ビルドを繰り返しながら拡大していった東京には、そもそも首都に相応しい建築デザイン、色彩、景観という考え方自体入り込む余裕は殆ど無く、僅かな例外を除いて、多くの試みはその都度灰燼に帰している。今都心では首都高速の見直しや東京駅の改築等都市景観の見直し、再評価が議論されているようだが、再現される景観がある一方で消滅して行く歴史的建造物も相変わらず存在する。容積率や建蔽率のような数値で測れる基準だけではない歴史や風土から来る必然性のようなもの、日本文化特有のバランス感覚のようなものを都市景観に応用する智恵をそろそろ身に付けても良い頃だと思う。

問題のイタリア大使館の赤い外観ですが、少なくとも私には日本人の美意識からそう大きく逸脱したものとは感じられなかった。色の違和感という部分だけならそのうち馴れてしまうだろう。


※当初はイタリアの陶器の色と書いたのですがどうやら勘違いでだったようです。
イタリアの陶器の色→日本の漆器に修正変更しました。

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建築家清家清さん亡くなる

訃報が続く。
建築家、清家清さんが4月8日、肺炎の為に亡くなった。
東京美術大学(東京芸大)建築学部、東京工業大学を卒業、海軍技術大尉として従軍、戦後は建築家として主に住宅建築設計に力を発揮。間仕切りを排したワンルーム、ミニマリズムの思想を住宅建築に定着させ、和の要素と合理主義、機能主義を融合させた作風で先月亡くなった丹下健三氏とともに戦後日本を代表する建築家と言われています。

氏は以前私が所属している資格者団体の会長をされていた時期が有り、会長を交代された後に一度だけ直に拝見した事が有る。とは言っても資格更新講習会の席上で聴衆の1人として先生のスピーチを聞いただけなのだが、年令を重ねてなを知的好奇心に満ち且つ穏やかな人柄が印象的でした。最近は建築家としてよりも教授としての活動が主であった様で、スピーチの内容も主に授業を通しての学生との交流に基づく話題でした。
一つは赤や緑に髪を染めた学生が混じる授業風景、黒髪の中に色とりどりの頭が見えるのは賑やかで楽しい、という話。もう一つは学生に「建築家」と「建築士」の違いは何か?と聞かれ答えに窮したという話し。方やアーキテクチャー、方やビルディングエンジニアと何となく解っているようで良く考えると違いが解らない問題提起は、その後も(今でも)私の中で一つの疑問として残り続けています。

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