文化・芸術

百香抱擁

今を去る事20云年前、演劇を少し齧っていた20代のはじめ頃、我々のような素人集団を率いて創作に情熱を傾けていたI君がプロとして演出を手がける舞台を昨年に引き続いて見に行った。構成員が固定された「劇団」ではなく、何人かの常連メンバーを核として公演毎にキャストを募集する「演劇ユニット」という形式で、昨年までは「a落花生MOON」という変わったユニット名で活動していたのだが、今回からは「ARM」と何やら普通の感じに名称を変え、内容もテーマを絞り込んでのリニューアルだ。

以下、実際に見ていない人や演劇に興味の無い人にはさっぱりだとは思うが、文章から何となく想像してみてください。

I君をはじめ当時のメンバーと連絡が途絶えてから20数年、ネット検索をしている中で「a落花生MOON」の存在を偶然発見し、初めて見に行ったのが昨年の夏公演の前作「ATHNE」。20名近い出演者が小さな舞台上を処狭しと動き回り、時間や空間設定が自由に交錯する構成で、始めはストーリーや設定を追うのに忙しかったのだが、最後にはその緩急の間にすっかり酔っていたのだった。
今回もそんなイメージで見に行ったのだが、出演者も半分に絞り込み、内容もシリアスなものとなるなど、全く異なった展開をみせてくれたのでした。
ただこれが大成功であったかと問われると何とも言えない。他の観客も前回のような内容を期待していたのかやや戸惑っているようにも感じられた。事実上素人である自分が言うのも生意気な話だが、脚本は良く出来ていて台詞も気が利いている。ただ、何人もの女性たちを夢中にさせながら飄々と流される人生を生きる色男が、結局は手玉に取られ利用されていただけだった事に気がつく。という主題に絡むサイドストーリー的なエピソード群が、より濃密且つ連携強く描けていれば、もっと印象の強い舞台となったかなあ〜と思ったりもしないではない。何にせよ新しい事にチャレンジするのは大変な事だ。

終演後キャストと一緒にお客さんを見送る座長のMさんや演出のI君と少し言葉を交わす。
次回の公演をどうするか未定だそうだが弱気にならず頑張って貰いたいものだ、次も必ず見に行くからさ。

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ル・コルビジェ展

六本木ヒルズの森美術館で昨日(9/24)まで開かれていた「ル・コルビジェ展」。熱帯夜が続いた8月のとある夕刻、仕事帰りに見てきました。

一般的には「サヴォア邸」等の先進的な住宅建築で知られるル・コルビジェ(本名シャルル=エドゥアール・ジャンヌレ)ですが、実際には大規模な公共建築や都市計画、工業デザイン等々多岐に渡る氏の業績。
それらを網羅する展示内容は必然的に大規模で見応えの有るものでした。

出かけたのは週末の夜。場所柄かデートの途中と思われる若い観客が多い。ちょっと建築に興味の有る人なら多分知らない人は居無いであろう巨匠の生涯にわたる作品の展覧会という事で皆熱心に見入っています。

実は不勉強にして良く知らなかったのですがこの人、本来は画家の道へと進む筈だったようで建築設計の傍ら絵画や彫刻の製作を生涯に渡って行っており、午前中はアトリエで絵画製作、午後は事務所で建築設計という生活を続けていたとか。ピカソやブラック等による「キュビズム」に対して「ピュリズム」=純粋主義に属するという抽象的な作品群は趣味活動というには納まらない本格的なもの。展示ではそれらの絵画彫刻作品と建築における業績を交互に巡る事によって、相互の関連性や影響を理解できる構成となっています。

展示は初期の絵画作品から始まる。
『暖炉』と題された最初期のやや小さめな絵画作品は暖炉の上に置かれた正体不明の白いキューブのたたずまいが「後の氏の建築作品を連想させる」と解説に有る。
絵画彫刻作品の傾向がやがて具象から抽象へと移行してゆく一方で、建築作品の展示は共同住宅『ユニテダビダシオン』のユニット一戸分の実大再現、コンペで落選した旧ソ連『ソビエトパレス』のCG再現、後の都市計画家達に多大なる影響を与えた未来的都市計画など圧巻の一言。
工業化住宅の先鞭となったドミノ住宅や、人間工学にもとずくモデュロール、近代建築の5原則等々モダニズム理論に基づく精緻で先鋭的な建築の仕事の一方で、奔放で情熱的な絵画、彫刻の仕事が自分には一見矛盾するようにも感じられる。
しかし、シャンディガールの都市計画やロンシャン教会堂等々、老境に達っしてからの作品群はそれまでのものとは大きく傾向が異なり、情熱的で奔放、時におおらかとさえ感じる作品性に変化して行くのだが、誰からも押しも押されもせぬ巨匠となった建築家が暖めていた夢を一気に開花させたとするならば、なるほど先進性や独創性の追求において、それらには何の矛盾も無いと解釈することもできる(このあたりは主催者の意図するところでもあろうか)。

最後の作品は南フランス、カップマルタンの別荘、というより小屋。1965年に氏が亡くなるまでの最晩年の期間を過ごした海辺のアトリエの実物大再現展示だ。
実物の小屋の内部を忠実に再現したというこの展示物も靴を脱いで中に入り、空間を体験する事が出来るのだが・・外で順番を待つ間に抱くわくわくとした期待感に反してその空間に驚く様な仕掛けは何ひとつも無い。無駄な空間を省きちょっとした隙間を有効に活用する工夫には感心させられるが、敢えて側に居る学芸員?に説明を聞くまでもなく眼の前に見える事物が全てであるらしい。
枯淡の境地に達した大建築家が遺した最後の作品は正に方丈の庵だった。
そして本当のエピローグは、南フランスの海を臨んで佇むコルビジェの墓を写した一枚の写真。モダニズムと純粋主義を先鋭的に追求した建築家らしく質素で飾り気のないながらもどこか懐かしさの漂うたたずまい。
そこに立てられた墓碑は、あの『暖炉』に描かれた白いキューブに良く似ていたのでした。

六本木ヒルズ 森美術館にて。
9月24日(月)まで開催(終了しました)

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『戦後日本デザインの軌跡』展

ソニーのトランジスタラジオ、ホンダのスーパーカブ、トヨタパブリカ、そしてケツメイシのCDジャケット。これらに共通する事項は何だろうか?
実はこれらは全て日本の工業意匠教育機関の草分けとして、多くの工業デザイナーを生み出してきた東京高等工芸学校。現在の千葉大学工学部工業意匠科の卒業生達の手に成る製品なのだそうです。
現在、千葉市美術館で開かれている『戦後日本デザインの軌跡』展では、同学校の卒業生だけに絞り、時代と生活文化を象徴する作品群によって戦後日本の世相を語る、という特別展が開かれています。
私自身、学び舎としては縁もゆかりも無い学校ではありますが、地元の大学でもあり、幼い頃現在の千葉大学(当時は東大工学部)の建物もまばらな広大な敷地の中でセミ取りなどに興じた思い出の地でもありました。もしも自分が高校生の頃に現在の自分を想像出来たなら、もう少し頑張って(と言うか大分頑張らなければ無理)ここを目指したかもしれません。日々のほほんと暮す高校生にとって、18にして将来の進むべき道を決めなければならないというのは随分酷な話では有りますが、逆に言えば、その若さで自らの進路を決め、それに向かって邁進出来ると言うのは大した物だと感心してしまう。
余談でした。

それにしても展示室に並べられた作品群は我々が日々お世話になっている日常品から広告、出版、さらに本四架橋、鉄道車両、自動車、公共サインといったインフラストラクチャーに至るまで、プロダクトに留まらずあらゆる分野を網羅しており、よくもまあ戦後日本の隅々にまでそのイズムを浸透させたものだと、これまた感心してしまう壮観な眺めでした。
工業デザインに限らず、デザイン一般(モノ、コト)に関心を持つ人なら是非、足を運んで損は無い特別展と言えるでしょう。

5月28日まで:千葉市美術館にて開催中

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エトルリアの世界展

東京九段のイタリア文化会館にて先日まで開催されていた『エトルリアの世界展』を見に行った。
イタリア文化会館は最近立て直されたばかりだが、赤、緑、白とド派手なイタリアントリコロール、というかクリスマスカラーの外観に先ずは度胆を抜かれる。しかしそこはデザインの国、派手ではあっても下品では無い、10分も見ていればすっかり見なれてしまうのはさすがだ。

エトルリアはローマに先立って紀元前のイタリア半島に栄えた古代文明で、ローマ文化に大きな影響を与えたにも係わらず、何処から来て何処へ消えたのか良く解らない謎の民族と言われているらしい。
塩野氏の著書の中でも、王政時代のローマを一時支配し、石造の神殿や地盤改良などの土木建築技術や闘技といった技術習慣を伝え、後のローマ文明の方向性を決定付けた民族として紹介されている。実際のところローマ共和国建国そのものがエトルリア支配からの脱却とイコールの関係に有るようだ。
展示された遺物(殆どが埋葬に伴う副葬品)からはギリシャの文化をケルト人やローマ人に伝えるメッセンジャーの役割を担うことになった彼らの立ち位置がそこはかとなく感じられる。
その後北からはケルト人、南からはローマ人に攻め込まれ、最終的にはローマに吸収される形で消滅して行ったという事らしい。サッカーの中田選手が以前所属していたペルージャなどイタリア中部に多い丘上の街の多くはエトルリア人都市国家に起源を求める事ができるそうだ。
それにしても金製の腕輪等に見られる古代人の微細な加工技術や芸術的センスは見事、思わずケースの中の小さな「芸術品」に魅入られてしまった。
やがてローマに組み込まれた彼等の技術が「商品」として流通していく過程で、緻密さや「魂」の様なものどんどん失われてゆく様が見て取れる展示でもあった、何か現代にも通じる現象に考えさせられる。

イタリア文化会館にて12月18日まで(終了済み)

おまけ:1988年、バリライト(もどき)の落下事故で世間を騒がせた六本木のディスコ『トゥーリア』の店名はエトルリアを意味するのだそうです。

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縄文VS弥生展

久しぶりに上野方面へと出かけたついでに、国立科学博物館で開催されている「縄文VS弥生展」を見に行った。
首都圏にあまた在る自然史系博物館の親分格である国立科学博物館、通称「かはく」は只今大改装中。パリの自然史博物館を参考にしたと思われるお洒落でスマートな展示室の一部は既に公開されているがこの日は生憎時間が無い為特別展のみの観覧となった。

近年の年代測定技術の進歩に伴って、いわゆる弥生時代の始まりが従来言われていた紀元前2世紀頃より500年遡った時代である事が判明したという記事を最近新聞の片隅で読んだ覚えがあるが、どうやらこの研究成果を発表しつつ夏休みの子供達の自由研究のネタを提供すると言うのが今回の特別展示の主旨であるらしい。この500年遡ると言う事が何を意味するかと言うと、大陸から稲作技術と武器を持ってやって来た弥生人達によって縄文人と縄文文化が急速に同化、駆逐されて消えて行ったという従来の常識がどうやら根底から覆えされてしまうようなのだ。このあたり古代史に興味のない人にとってはさっぱりだろうと思うがまあそういう人は放っておいて話を先に進めると、縄文人は基本的に狩猟採集を生業としていて出生率は低い、一方農業を主とした集団は出生率が高い。狩猟採集を生業とする一つの人類集団の中に農業で食って行く人間が僅か0.1パーセント程度混じるだけで、特に戦争や疫病などが無くても技術や文化、顔つきや身体的特徴まで丸ごとすっかり変わってしまう、それほどの時間的余裕があった、という事らしいのだ。最初に弥生文化をもたらした人々が大陸からやって来た少数の渡来人であることは間違い無いだろうが、縄文人対弥生人の民族の存亡を賭けた争いといったある意味ロマンチックな冒険活劇はなかった、という事らしい。

という訳なのだが展示自体にはそれ程目新しい物は無い。というよりやや総花的で突っ込み不足のように感じられなくも無いのだが、夏休みの子供達も対象としている展示のようなので致し方ないかもしれない。各地の遺跡や貝塚から発掘された人骨が多数展示されているので苦手な方は要注意。従来なら歴史系博物館で扱われる事の多いテーマを自然史系博物館で展示するという事に何らかの意味がある様にも感じられる。

しかし今回何といっても特筆すべきは縄文人と弥生人の扮装をした若い女性2人をモチーフにしたビジュアル戦略でしょう。電車の中刷りや新聞の片隅等にも登場しているので首都圏に住む多くの方が目にしていると思うが携帯電話やゲームに興じる彼女達のビジュアルが会場までのアプローチからテーマ毎の解説パネルに至るまで徹底的に使われていて嫌が応でも目に入る。純朴な男子中学生など恥ずかしくて正視出来ないかも(笑)まあ最近の中学生は違うのかもかもしれないが。ユニクロなどの広告でもお馴染みの手法を取り入れた物で、今回成功しているかどうかは微妙だが博物館の広告手法として新鮮であることは事実。どんどんやって貰いたい。

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踊るサテュロス

0503_ueno02_dancing_satyr風はまだ冷たいながらも春の到来を思わせるおだやかな陽光が溢れる上野公園。園内では気の早い桜が(寒緋桜&早咲き大島桜?)ちらほらと咲き始めていました。

国立博物館表慶館で行われている『踊るサテュロス展』を観た。
1998年、シチリア沖で漁師の網に偶然かかり発見された古代ギリシアの神像彫刻。ローマが共和制として歩み始めて間もない紀元前4世紀、フェニキア人と共に地中海に覇を唱えていたギリシア人の勢いが感じられるダイナミックな造形だ。余談だが海底からご本尊が発見された経緯は浅草寺の縁起と似ている、かな?。

幅が広いが奥行きのない表慶館を逆手にとり、模型や発見時の写真パネルをギャラリー風に展開、その奥中央の吹き抜けドームにサテュロス像が鎮座ましましている。
モザイクタイルの床、ホールを取り囲む回廊とコラム、大ドームの高天井からおちる間接光、、、ローマの神殿建築を彷佛とさせる要素全てがサテュロス像のために在るかの様に嵌っている、というか嵌り過ぎている。嵌り過ぎてサテュロス像があたかも建築の装飾として初めからここに在る様にさえ感じられる。
彫刻が本来鎮座していた環境を再現したとも感じられる今回の展示空間に、サテュロス像も安堵しているだろうか。

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千の百億倍

Vairocana上野の国立博物館で開かれている「唐招提寺展」を見た。

現在解体修理中の唐招提寺から運ばれた盧舎那仏、四天王像などを初めとして、鑑真和上像、装飾の施された実物の建築部材や出土品、そしてこれだけでも特別展を開く事が出来そうな東山魁夷画伯の障壁画が丸ごと展示されている。
仏像の中心は盧舎那仏だが、太陽神に由来するというこの仏の切れ長の目を凝視していると何か心の内を見透かされているようで思わず視線を逸らせてしまう。
他の観覧者も同様らしい、盧舎那仏の視線に難しい顔で耐えている人が多い。現代の、しかも近代的な博物館の展示室の中でさえこうなのだ、仄暗い金堂で仏像を見上げた古の人々は、その視線の力強さに射すくめられる思いがした事だろう。
他にも金堂の解体工程をつぶさに記録した写真は興味深い。やや専門的な話しだが、明治の修理に際して屋根裏に洋小屋組み(トラス構造)が取り入れられていたというのは建物の性格を考えるとちょっとした驚きで、いかにも明治と言う時代を感じさせる。今回の大修理では創建当時の構造に戻されるのだろうか?。
訪れたのが閉館間際だった為、仏像の製作過程を紹介する展示などを見残したのは残念だった。

ところで千の百億倍とは盧舎那仏の威光が千の世界に照らし出され、そこから百億の仏があまねく行き渡るという事(だったように思う。記憶曖昧ですいません)。光瀬龍氏のSF小説で萩尾望都氏により漫画化された『百億の昼と千億の夜』を思い出した。

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