書籍・雑誌

貧民の帝都

「読んでおいて良かった」と思う。
本を読む事の重要さを再認識させてくれる目から鱗の一冊だった。
華やかで真新しい文明開化の部分ばかりがクローズアップされる明治維新は、一方で貧困層の大量発生という暗い暗い影を伴っていた。戊辰戦争の混乱と幕府の崩壊で無政府状態となり、江戸詰の侍達が地方に戻ってしまった東京の町には、貧しい庶民や失業してしまった武家の下働きの人間達ばかりが残されて、広大な空家となった江戸城に乞食が住み着き、町のそこかしこには行き倒れ人の屍骸がころがるという悲惨な状況が展開されていたらしい。やがて新政府の体制が整えられていくのに伴って、新首都東京の「恥部」である町に溢れる乞食、行路病人、孤児、独居老人等の極貧民を隔離収容する施設が作られた。これが後に養育院という平成の時代まで続く社会福祉施設の始まりとなる。
この本ではこの養育院の変遷を軸に初代院長としてらつ腕をふるった渋沢栄一の奮闘振りや大正、昭和初期まで存在した東京の4大スラムの立地や起源、様子などが現在の地図とともに詳しく説明されている。また所謂「部落差別」の深刻化の起源が皮肉な事に明治時代の賤称廃止令に有るという事実は、意外だが成る程と思わせる。都市のインフラ整備を可能にさせた「財源」の話も何か今日に通じる様で興味深い。
それにしても“淤水縦横して汚穢を極めたるもの散在する”貧民街が今日では「都心」に相当する地域にも存在していたとは驚きだ。
自分達の町にかつてスラムが存在した。なんて事は誰も好き好んで話す者は居ない。このような事実は「江戸時代には芸人や芸者などが住む粋な町でした」なんてな風にぼやかされ、意識するともなしに隠されるのが関の山だ。そして日本の資本主義の父といわれ今日まで残る名だたる企業の創業者として名を残す渋沢栄一の筋金入りの社会福祉事業家としての一面、その行動力と信念の強さに打たれた。明治より現代に至るまで、利益の追求と社会への還元の両立という意味ではたしてこの人を超える実業家は存在するのだろうか?と思わせる。

東京が災害や戦争に翻弄されていく過程で養育院もまた変遷を余儀なくされ、行財政改革のうねりと共に終には事実上の廃止となってしまった。社会不安や格差が急速に拡大し、街に浮浪者が溢れる現代社会。はたして救いはあるのだろうか?
作者の思いは現代の「非人」階級に繋がっていく。
要所毎に挟まれる作者の独白、解釈の部分で時折現れる「揺れる思い」「断定への恐れ」は読み手に不安感を与えるが、それはまたこの問題の難しさを象徴しているようにも感じられた。

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塩見鮮一郎著
文芸新書、文芸春秋社

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謎とき日本近現代史

最近の出版界では新書版の刊行が静かなブームらしい。
講談社から発刊されている「講談社新書」には、地理、歴史ものの調味深いタイトルも多く、読書欲をそそられるが、最近読んだのが表題の「謎とき日本近現代史」野島博之著。著者は某予備校で日本史を教えている人らしい。全体的には講議の内容をそのまま書き写したごとく平易な文体の語り調が特徴。明治維新による武士の凋落に始まり、第一次石油危機に至るまで著者による主観を極力避け、相互に連関して決して単純では無い歴史の流れの全体像を、各時代区分を代表する事件、世相を軸にトピック的に解説して行く。それぞれのトピックについて突っ込み深く理論を展開している訳では無いが、少し引いて全体を眺める様な論点はなかなか良く出来ているし、何より平易で楽に読めるのが良い。

長い不況や長期的な国力減少に対する漠然とした不安。中韓で広まる対日強行路線や反日デモ、憲法改正問題や国連常任理事国入りに対する逆風等々日本を取り巻く情勢は厳しく、それに対する不安からか日本人のアイデンテティを求めようとするあまり懐古的な歴史観に嵌る人も少なく無いと思うが、そんな人達にとっても本書は正しい歴史解釈の必要性を感じるツールとして役立つかも知れない。インターネットの掲示板に政治的な発言を残すなら最低このくらいの予備知識を持って臨むべし、という感じでしょうか(自戒的意味も込めて)。

本書の中で私自身が興味深く感じたのは戦前における政党政治の弱体ぶりと戦前にも有った憲法(解釈)論儀に関する記述だ。
読後の全体的な印象として、日本が戦争に突入して行った最大の原因は詰まるところ戦前における政党政治のぜい弱性、議会の外にある枢密院や軍部といった船頭の多さ、天皇大権の解釈の変化、それらの根本を為す明治憲法の(現代的な視点から眺めたところの)危うさに有る。まあ現代においても政党、政治に対する不信感は根強いわけだが、明治憲法下では政党自体が今日の様に保証されたものではなく、故に政党内閣は常に不信任の危機に晒されて深刻な政策の誤りも生じやすくなり、それが国民の不信感を増大させ、軍部台頭への漠然とした期待感が醸成される、といった流れだ。

国民主権の考えが明文化されていなかった明治憲法下において、天皇を国家の最高機関として憲法のコントロール下に置く事により、相対的に生じる民主主義を主張した美濃部辰吉の天皇機関説や、普通選挙の重要性を説いた吉野作造の民本主義などによって「大正デモクラシー」が花開いたのも束の間、民本主義を代表するべき政党政治の自壊によって政治面では軍部による発言力の増大と予算の突出、思想面においては天皇主権説が勢力を増して行き、戦争への連鎖反応が進むのにさしたる時間はかからなかった事になる。

昨今憲法改正が大きな議論となっている。自民党のそもそもの党是は自主憲法制定だし、民主党もその自民党から移った人が多い以上、憲法改正の主張が出て来る事は何ら不自然では無い。私自身も仮に憲法条文に不備が在れば改正をタブー視するべきでは無いと思っている。しかしこの本を読んだ後、終戦直後の憲法制定の時代に想像力を働かせてみると、日本国憲法制定時多くの日本人がこれを歓迎したというのも、勿論戦争に負けたからではあるが単にそれだけではなく、それが果てしない戦争に突入する以前、日本人自らによって想起されていた内容の具現化であったからであり、それを可能にしたのはワシントン条約締結以降、大平洋の向こうから日本を注視し続けたアメリカの緻密な計算と研究によるものだったのではないだろうか?と感じられるのだ。

くり返すが日本国憲法は、制定の経緯はともあれ、また戦争放棄の規定は置くとして、その内容は戦前日本人自らの手によって研究されながら遂に実行する事が出来なかった諸々の事柄を戦勝国アメリカの手を借りて実行に移したのに過ぎず、決して世の多くの人が思う様に押し付けられた物では無いと解釈する事も可能だ。その辺はしっかり頭に入れておくべきではないかと思う。

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「小人之学也入乎耳 出乎口」

050214_itiniti-itigen書店で偶然手に取った小さな本。
中国古典『一日一言』守屋洋著 PHP文庫

日本人にも馴染みの深い、あるいは一度はタイトルを聞いた事の有るような中国古典の名著の中から365の言葉を選び出し、著者による解説付きで1年365日に振り分けた含蓄深い今日の一言カレンダー。

日めくりカレンダーの様に使っても良いし、中国古典のエッセンスを汲み取る読み物といても面白い。

で、私の誕生日にあたる日の言葉として書かれていたのが以下の文章。


「小人之学也入乎耳 出乎口」『荀子』
小人の学は耳より入りて口より出ず。

耳で聞き齧った事をそのまま他人に受け売りするのだから、少しも自分の身に付かない。そんな学問の事を「口耳の学」と呼んでいる。自分を向上させるには学ぶ事を忘れてはならない。だが同じ学ぶにしても「口耳の学」のような学び方ではかえって有害無益なのだ。


耳が痛〜いのなんのって。まるで自分の事じゃないですか。

元来が浅学好きの性分故、広く浅く、色々な分野に首を突っ込んで得た知識をペラペラと受け売りする事も多い。このブログでも時として内容に乏しい記事をだらだらと書き連ねる事もあるが、あくまでも私自身による私の為の忘備録として許してやって下さい。

他人様の事を言えた義理では無いが「口耳の学」を披露するのにブログはぴったりなツールだと思う。もちろん私が訪れたりコメントを頂いたりするブロガーの皆さんは皆個性的で研究熱心、あるいはしっかりした体験や感性、嗜好(大袈裟?)の下に書かれていて「口耳の学」には程遠いが、一方世の中には閉鎖的なコミュニケーションの世界で醸成された狭量な物の考え方(あるいは思想)を(自らの言動について都度検証する事も無く)垂れ流してしまっている「痛い」ブログもまま見受けられる。ブログを革新的コミュニケーションツールなんて風に持ち上げる向きもあるが、確かにその通りである一方、一面では従来のネット世界同様、あるいはそれ以上にコミュニケーションの細分化、思想の先鋭化を促す危険性を孕んだツールでも有るという事、そろそろ皆さん気がつき始めているんじゃあないだろうか?
これについては後日とりあげてみようかとも思っている。

また長くなってしまいました。どうもすいません。

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