映画・テレビ

激流中国

忙しい毎日を送っているとブログの更新もまま成らないまま時間だけが過ぎて行く。一日も休まずきちんと更新が出来ている人は一体どのような生活を送っているのだろうか。

昨年の4月からNHKスペシャルとしてほぼ月一回のペースで放送されているドキュメンタリー「激流中国」。全ての放送分を見ている訳では無いが、見る度に現代中国が抱える様々な問題に深く切り込むしっかりとした取材内容についつい引き込まれてしまう。聴視聴料問題や着服など(そういえば橋下大阪知事との喧嘩なんて話題もありましたなあ)叩かれる事の多い最近のNHKだが、やはりドキュメンタリーの質は高い。聞くところによるとこの番組は中国国内でも話題となっているとか。勿論内容が内容だけに正式なTV放映ではなく、ネットへの動画投稿が当局の度重なる規制にもかかわらず後を断たないらしいのだ。
3月2日の内容は極端な経済政策が生み出した農村の貧困、都市と農村の深刻な格差問題を描いた
「上海から先生がやってきた〜貧困の村で」
ボランティア教師として中国でも最貧地域である寧夏回族自治区に派遣された上海の名門大学に通う都会暮らしのお嬢さん、梁さんとその仲間達が体験する厳しい格差の現実と、それに立ち向かおうとする努力の日々を追ったドキュメンタリーだ。貧困から逃げ出すため無人となった集落、住人が居なくなればたちまち朽ち果てる日干しレンガの家々、岩だらけの乾いた山々。そんな環境下においても、具の無い饅頭で腹を満たし、まだ薄暗い早朝から校舎の窓の灯りを頼りに屋外で一心不乱に教科書を読む子供達に驚かされる。貧困あえぐ生活、それを克服する道は大学進学しかないのだ。
剥き出しの貨幣経済に振り回され、利子の仕組みも知らぬまま生活の為に借金を重ねる生徒の家族。そんな子供達を救おうと銀行に乗り込み、執拗に交渉する梁さんに「返済が出来ないなら起訴もあり得る」と言い放つ銀行員。彼等が操るコンピューターの画面には、グローバリズムの象徴とも言えるウィンドウズの緑の丘。何とも言えない居心地の悪さ、バランスの悪さを感じてしまう。
自分達の努力だけではどうする事も出来ない生徒達の境遇を、何不自由する事なく大切に育てられてきた自らと比較して涙する梁さんの姿には、見ている側のこちらにも込み上げて来るものがあった。

彼女達もやがては都会に戻りエリートビジネスウーマンとして社会の中枢を担う様になるのだろう、その時、社会の矛盾と不公平を目の当たりにした彼女達が、机上の空論や小難しい理屈ではなく、真に豊かでゆとりの在る社会を生み出す事を切に願わずにはいられない。
そしてその時、日本と中国の関係は一体どのようになっているのだろうか。

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NHKスペシャル日中戦争

残暑お見舞い申し上げます。
額に汗して待ちにまった夏休みでしたが、今年は全て仕事。
青く澄み切った夏空の下、閑散とした都心の風景を堪能しています。

例年夏と言えば避けて通る事の出来ない日本人の心に刻まれた悲しい記憶の数々、広島、長崎の原爆記念日、御巣鷹の尾根に散った日航機の悲劇、終戦記念日etc。
一昨日放送されていたNHKスペシャル「日中戦争」はなかなか見応えの有るドキュメンタリーでした。日頃何かと腹の立つ事も多いNHKだが、やはりドキュメンタリーは面白い。
最近ネットやブログの世界では随分と保守的な、あるいは右寄りな考え方を目にする事が多い、彼等の間では所謂「南京大虐殺」など無かった事になっている、中国大陸への止めど無い侵攻も、結果として大量の難民を生み出した満州国の建設も全て自衛の為である、と。一方で、ある意味戦後の日本の伝統的とも言える左派的指向の考え方では、全ては日本側が仕組んだ侵略戦争であり、非道な事をした日本人は謝罪し続けなければならない、と言う事になる。
番組では蒋介石野率いる中国国民党軍と日本軍、ナチスドイツと中国と日本の三角関係、日本政府と軍部の対立等々、善か悪、勝ち負けといった単純な二元論的考え方では済まされない国と国との複雑な駆け引き、命を賭けた宣伝戦が戦争の最中において繰り広げられていた事を紹介していて興味深い。蒋介石の巧みな戦術にのせられた軍部は、自らが定めた不可侵ラインをやすやすと超えて大陸深く侵攻して行き、結果として混乱と錯綜の中、南京の悲劇を生む事になる。勿論10年間にもわたった長い戦争の全貌をわずか1時間程度に集約するには多少の無理もあるかもしれない、しかし今日のイラクやレバノン、パレスチナで繰り広げられている事と全く同じ様な事が60年前の中国大陸で繰り広げられていた事に考えさせられた。

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鎮魂の海・・男たちの大和

今更ながらというか、遅ればせながら『男たちの大和』を鑑賞しました。
さまざまな媒体から既に伝えられている通り、戦争賛美の映画では無く、かと言ってあからさまな反戦映画でも無い。戦争の時代に生き合わせて当時の日本の技術と文明の象徴であり、且つ「空前絶後の無用の長物」(プログラムより)に乗り合わせた若者達の壮絶な生き様、死に様をある部分は情感たっぷりに、又ある部分は淡々とあるいは冷徹に描き切った作品で、私も思わず落涙しそうになりました。
一方、以前TVで(筑紫哲也氏だったか?)が監督の力量と言っていたのを記憶しているが私も同感、なにせプロデューサーは角川春樹だ。
角川映画の成功で人生狂ってしまった感のある春樹氏だが此所へきてまともなプロデューサーとして頭角を表して来たのかもしれない、まあ私などが言うのもおこがましい限りではあるわけですが・・
『プライベートライアン』以降、第二次世界大戦モノは勿論、『グラディエーター』のような歴史劇に至るまで、映画においても中途半端な戦闘描写、心理描写は許されなくなったと思うのだが、この作品もその流れに乗っている。戦闘場面ではかなり惨たらしいシーンも逃げる事無く描かれており、過去と現在が交錯しながら物語が進展する構成も似かよっている。
映画では鈴木京香演じる内田兵曹の養女が大和が沈没した海域へと向かう途中、生存者である神尾から当時の体験談を聞く事になる。後で知ったのだが、物語の核であるこの内田兵曹の養女のエピソードは事実に脚色を加えたものであるらしい。
沈没の海域に行く事は過去へと時間を遡る事であり、内田の本当の最後を見届けることは神尾自身が自らの生き長らえた意味を理解する事でもあった。監督はこの現代のエピソードに「鎮魂」の在るべき姿を表現したかったのかもしれない。この映画には靖国の名は全く出てこない。靖国参拝論争につきまとう観念論、宗教解釈、政治論争に対して、鎮魂とは死者達と場所を共有し、追体験をする事でしかありえない。そんなさりげない抗議の様な気がしてならないのです。

それにしてもプログラム、大きすぎます。

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里見八犬伝:ハレの日に闘いを見る事

若手お笑いタレントが大挙登場する脳天気な芸能番組や新年早々感動の各種スポーツ中継、TV欄を覗いただけで見る気が失せる長〜いドラマ等々、正月のTVを彩る様々な番組のなかで、実は楽しみにしていた番組の一つが『里見八犬伝』。昨年のNHK大河で主役を張っていた「タッキー」が主演と言う事で重厚な歴史劇か?と一瞬期待も膨らむのですが、そこはそれ、なんと言っても『南総里見八犬伝』、重厚である筈も無かろうという事で過度な期待もせず見始めたのですが、これがどうしてあに図らんやなかなか面白い。
関東公方足利家と関東管領上杉家の骨肉の争いを軸に、守護大名や諸豪族が翻弄されまくった関東の戦国時代。後に登場する織豊、徳川といった天下人の物語りの様にドラマや小説の題材として何度となく取り上げられる事もなく、どちらかと言えばマニアックな室町時代の関八州を舞台にした歴史冒険ファンタジーは、戦国の記憶がより身近であったであろう江戸の人達にとって、血沸き肉踊る“現代劇”であったに違い無い。

とは言えお話自体は荒唐無稽の極み、フィクションである事は間違い無いのだが、里見、千葉、馬加、豊島、足利、扇谷(上杉)といった歴史上の実在人物が配されている事で妙なリアル感が有る。(実際房総の山中には「伏姫が隠った洞窟」などという名所旧跡が存在する)
加えて滝沢馬琴による原作を読んだ事も無く、NHKの人形劇も、薬師丸ひろ子が主演していた角川映画も勿論それ以前のモノクロ映画も見ていないので先入観が無いぶん面白く感じられたのも事実。登場人物の善悪、性格を色彩で表現したワダ・エミの衣装デザインも洒落ていて、日本離れした雄大な風景や(中国ロケだから当然だが)テレビゲームばりの戦闘シーンも普通なら噴飯モノだが、ファンタジー故楽しんで見ていられたのでした。一方原作とは異なるのかも知れないが復讐の為に怨霊と化した玉梓にも救いを残した結末は現代的解釈としてもそれなりに感銘を受けた。このドラマを機に関東の戦国時代について興味を持つ人が出てくると面白い。

それにしても大晦日の紅白歌“合戦”、格闘技に始まり、新年の駅伝、アスリートの力比べ、八犬伝、函館戦争、戦国絵巻、芸人達の智恵比べetcと、古今東西人類は、何故ハレの日に「闘い」を見たくなるのでしょうか??。

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宇宙戦争

かつて日本の映画、小説界にも空前のSFブームを巻き起こした「スターウォーズ」VS「未知との遭遇」以来約25年(26年?)。当時とは技術も思想も社会情勢も異なる現代という時代に向けて、いまやアメリカ映画界の重鎮となったルーカスとスピルバ−グ2人の映画監督によるSF世界を舞台にしたガチンコ対決が再現された。

東西冷戦の最中、時代の気分を反映してか悪の帝国との明確な戦いを展開した「スターウォーズ」に対して「未知との遭遇」や「ET」といった作品で友好的な宇宙人を描き続けたスピルバーグ監督だが、テロリズムが蔓延し文明の衝突、地球環境異変という新たな危機に直面しつつ在る現代、さすがのスピルバーグ監督も「侵略者としての宇宙人」を描かざるを得なくなった様だ。

突然の嵐と雷鳴を伴って地球に来襲する侵略者達、町中に突如出現した戦闘機械トライポットにより何が起きたのか訳も解らないまま「駆除」されていく人類。(スチームなど吐いてコミカル且つ無気味なトライポットのデザインは、有名なタコ型宇宙人を連想させるなかなかの傑作だと思う)
侵略者達の攻撃は、ただひたすらに好戦的、無慈悲且つ無敵であり、逃げまどう人類にとってはその意味も目的も知る由はない。このあたり「ジョーズ」に登場するホオジロザメや「激突」のトレーラーなど、かつてのスピルバーグ作品にしばしば表れたテーマと共通性が在るように思う。

突如襲って来た未知の敵に訳も解らないまま蹂躙され、切れかかった絆をかろうじて繋ぎ止めようとする親子を描いた序盤。アメリカ人がかつて経験した事のない難民の大量発生、群集心理に拠るパニックの恐怖。何の理由も明らかにしないまま全てを破壊し尽くす戦闘機械の攻撃から必死の逃避行を続ける前半。遂に逃げ場を失い閉じ込められて密室劇の様相を呈する後半。そして少々呆気無い幕切れ。
この種の映画にしばしば使われる「人間ドラマが描かれていない」という評価も、親子の絆、群集心理やパニック、密室での恐怖などがきちんと押さえられていて安心して?見ていられる。加えて川面に浮かぶ死体。炎に包まれ爆走する列車を前にしても特に驚く様子も無く遮断器が上がるのを待つ群集の不気味さ、娯楽性の中にリアルな恐怖感を巧みに織り込んで見せる手腕はさすがだ

その気になればウェルズの原作を大胆に脚色してよりドラマチックなラストにすることも出来たと思うが、敢えてそれをせず、呆気無い程の幕切れとしたのは何故だろうか。勿論SF小説家の草分けであるウエルズへの敬意もあるだろうが、人知を超えた力に人間の文明は無力だと言う事、人類を救う事と成るのは我々人類も含まれる地球に生きる生命の営みそれ自体であったとするラストはむしろ現代にこそ通用するテーマであって変更する必要性無し、と判断したのかもしれない。その意味で「インディペンデンスデイ」の様なマッチョで退屈な解決法々を選ばなかったのは全く正解だと思う。ラスト近く、凶悪だった筈の戦闘機械にカラスがとまっているシーンが非常に印象的だ。またこの映画の主観は何度も言う様に突如として未知の敵に蹂躙され、かつて経験した事のない想像を絶する危機、逃避行を強いられる一アメリカ人家族の視点であって、多分同時進行的に何処かで行われている筈の「政府や国家」対「宇宙人」を描いているのでは無い。タイトルに反して国家規模での戦争を俯瞰している訳では無いので、唐突に登場してエイリアンにコテンパンにやられる軍隊の攻撃が小規模散発的に感じられるのも至極当然なのだと思う。むしろ100万年もの時間が有りながら学習する事の無かったエイリアン達の無知、無謀さはイラク戦争の泥沼に嵌り込んだアメリカと脳天気な大統領に通じるアイロニーの様な気がしないでもない。

一家族が体験した異星人との戦争の姿。「世界戦争」という原題が皮肉だ。

war_of_the_worlds


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武士 MUSA

なにやら日韓関係が俄に騒々しくなって来た。
行為自体に間違いは無くとも、行動を起こすタイミングを間違えると最悪の結果と成る。島根県議会の行動はタイミングが悪すぎた、私的にはもう少し空気を読め!という感じでもある。

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キング・アーサー

050205_king_arthur最近DVDが発売された『キング・アーサー』
聖剣「エクスカリバー」を振って戦うブリテン(=ケルト=ウェールズ人?)の王アーサー。円卓の騎士、聖盃伝説、魔法使いマーリン等ファンタジーとしてのアーサー王伝説は有名だがこの映画はちょっと趣向が異なる。



伝説に彩られたファンタジーや中世騎士道物語的なアーサーを期待すると外される。しかしながら実際のところアーサー王がいつの時代のどの様な立場の人だったのかはハッキリしないし、そもそもアーサー王伝説自体フランスブルターニュ地方に住むケルト人によって作られたもので(by世界不思議発見)実在したのかどうかも定かでは無いらしい。

諸説ある王の由来中、信憑性が高いと言われているいくつかの説。

■ローマ帝国支配下のブリタニアにおけるブリトン人の首長説。

■ローマ帝国支配下の東欧サルマート出身者によって構成されていたブリタニア守備隊の司令官「ルキウス・アルトリウス・カストゥス」乃至その名跡を継いで異民族の襲来に抵抗したブリトン人の首長説

等を元にして組み立てているようで、作品なりにアーサー伝説に対する一つの仮説と成っているところが面白い。いずれにせよ歴史ファンの私としては伝統的なファンタジー的アーサー王物語より興味を引かれた事は間違い無い。

ファンタジーでもなく完璧な史実でもないという位置付けが中途半端なのか思ったより映画の評判は良く無いようだ。物語の出来は実際鑑賞する人達の主観に任せるとして(私自身は面白かった)今日のイラク戦争におけるアメリカの姿になぞらえる向きも有るがそれはとれはともかくとして。
製作サイドの肩を持つと言う訳では無いが、日本人には分かりにくい物語の背景について後日調べた内容、あるいは「?」と感じた部分についてちょこっと書いてみる。

外国映画では文化的、宗教的にネイティブな人間でないと良く理解出来ない、あるいは?で終わってしまうような、それでいて物語上重要な史実や隠喩が良く登場するらしいのだが。この映画では古代ローマで実際に起こったカトリック教会の神学論争が物語上重要な鍵となっているらしい。

初期ローマカトリック教会におけるペラギウスとアウグスティヌスによる神学論争。人間の善性と自由意志による救済を唱えたペラギウス派は論争の末異端とされてしまうが、映画の中でアーサーはペラギウスに師事したキリスト教徒として描かれ、仲間(円卓の騎士)の自由と自らの信じるローマの大儀の為に、アウグスティヌス派の布教の為にブリタニアに派遣されて来た(これは史実らしい)司教ゲルマニウスからの過酷な命令に従って戦うものの、敬愛して止まない故国ローマからの精神的な裏切りによって帰るべき場所を失い、グエネビアやマーリンの誘いを受けて(多分受けなかったとしても)自らのもう一つの故郷であるブリテンに留まる事を決意する(映画の中のアーサーはローマ人司令官とブリトン人の混血)。
この宗教心と自らの出自へのこだわりがアーサーの行動の原動力であり、レギオン(ローマ軍団)撤退後、たったひとりハドリアヌス長城に残ってサクソン軍を迎え撃つと言う一見無謀としか思えない決断に繋がっている(として描かれている)。
これは異端とされた後のぺラギウス派がブリトン人やケルト人の間に広まって行ったと言う史実が反映されているらしい。
DVDではディレクターズカットとして冒頭に少年時代のアーサーとブリテンで布教中のペラギウスとの交流場面が追加され理解を助けている。

とは言ってもロードショウ公開の時には私自身別段考えも無くアクションに酔っていただけだったのですが、、、

全体的には良く知られた伝説としての物語りと史実としてのリアルさとの按配加減にやや無理が感じられ、歴史劇として見ると安直さが拭いきれないものの、
清楚でありながら時に凛々しく男顔負けの活躍を見せるグエネビア役のキーラ・ナイトレイはGOOD JOB。

一方映画的なディテールの嘘や脚色をいちいち上げつらってもきりが無いが。

撮影上の都合からかアーサーと円卓の騎士達の乗る馬には鐙が装着されているが、5世紀始めのローマにはまだ鐙は無かった筈、鐙が中央アジアの騎馬民族から東ローマ帝国にもたらされたのは西ローマ帝国滅亡の後ではなかったかと思う。
この様な細かい考証部分の嘘というか妥協は、気になる人間にとっては案外気になるものだ。

昨日、『アレキサンダー』を鑑賞。さすがは"社会派"オリバーストーン、と感心。
長いが見応えのある作品でした。感想は後日。
長文で失礼しました。

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救命病棟24時

救命病棟24時というTVドラマを始めて観た。
以前から放送されていたドラマの続編らしいのだが、近未来の大震災に襲われた東京を舞台に、救急医療に携わる医師、看護士達の葛藤と活躍を描いている。
ドラマとは言え若手、中堅役者達の迫真の演技に思わず引き込まれた。
過去に災害に見舞われる主人公達ををクライマックスに据えたTVドラマとしては「岸辺のアルバム」などが有名だが(私自身は見ていませんでした)、初めから大災害下の都市を舞台にしたTVドラマと言うのは珍しいのではないかと思うのだが、どうだろうか。
一昔前なら荒唐無稽とも言える設定で上面だけの偽善。というような非難を浴びたかも知れない内容だが、これだけ内外の災害報道を見せつけられ、実際いつ何時身近で災害が起きてもおかしく無いという切迫感が漂っている現代日本においては、これを荒唐無稽と斬って捨てられる人は1人も居ないだろう。勿論ドラマ故の演出や御都合主義的展開は無いとは言えないが「見るだけで災害への備えと成る」そんなTVドラマが有っても良いなあ。と感じたのでした。

と、言っては見たものの次回も見るかどうかは解らないんですけどね。

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"おば様方、波田陽区を斬る"に反応してみる。

guitar_samuraiブログを検索していて小耳に挟んだ情報に拠ると、「ギター侍」こと波田陽区氏のネタが、一部で国際問題となりそうな気配とか。
何でも例の調子で「ヨン様と結婚したらあんたの苗字『ペ』ですから・・・残念!」とやったのが世のヨン様ファンの心情を逆撫でしてしまい、放送局に苦情が殺到。韓国側も反応して当該ネタの放送中止を求める抗議文が届いたとか何とか。どうやらソースは週刊誌の記事らしく、ニュースを検索してもヒットしない。

確か以前にもこの人、アイドルの誰かをネタにしてファンの猛抗議を喰らい、それを自虐的ネタにしていた様な気がするが。今回も物議をかもしてしまった格好だ。
これが本当なら、たかが芸人のギャグにいちいち過激に反応するファンの在り方も考えものだが、それだけぺ氏が熱烈且つ盲目的にに支持されているという証拠でもあり、私なんぞむしろ微笑ましく感じてしまうのだが。。。
韓国サイドからの抗議も、それがもし仮にプロダクション関係辺りからならば、日本のぺ・ヨンジュファンに対するサービスとも考えられ、いずれにせよ程なく沈静化するだろう。

一方今回の情報元である嫌韓流(サロン系)サイトでは、この記事に早速トラックバック、コメントが反応して賑わっているが。昨年、本宮ひろし氏の“漫画”に過剰に反応し、実際に掲載中止に追い込んでしまった“大の大人”が大勢いた事を考えれば、どっちもどっち、またまた内弁慶炸裂か・・・。

と言うかそんな事よりこの人のネタのつまらなさを何とかすべきじゃ無いだろうか?
「ヨン様と結婚したらあんたの苗字『ペ』ですから」ってそのままだっぺ、捻りも何にも無いし。
うまく捻れば笑い話で済んだものを、なまじヘタクソだったが故に文字通り「洒落にならなかった」訳である。しかも聞くところに拠ると韓国では夫婦別姓だとか、、、二重にうっかりだった訳だ。

この記事に対するコメントの中には「なぜこのネタが問題になるのか解らない」とする無邪気な意見が見うけられるが、嫌韓乃至嫌韓流的な観点から意図的に書かれているのならともかく、これが本心だとするとその人は相当深刻な想像力欠如と言わざるを得ない。一見無意味に感じるギャグだが、逆の立場ならどう感じるか、民族感情は無視しても、個人対個人として洒落にならない事がすぐに想像出来るはずである。

以前の記事で「波田陽区の芸の面白さが解らない」と書いたが、不覚にも最近笑える様になってしまった(^^;)。しかし相変わらずネタが面白い訳でも無く、「○○○って言うじゃな〜イ」「でも○○○ですから・・・残念!」「○○○斬ぃり〜」というギャグのパターンに違和感が無くなっただけの事である。
どうやら本人も自覚しているらしく、「ギター侍は実は持ちネタの一部でたまたまブレイクしただけであり、他にもネタ(ていうかキャラクター?)が有る」と以前立ち読みした週刊誌の中で述べていた。私自身は牧伸二の後継者とも言える「ギター侍」という持ち芸を熟成させて行くべきだと思うが、一方「ギター侍」でない波田陽区もいるというのが本当なら面白い。ちょっとだけ期待してみたい。

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ETV特集『ロシアから見た日露戦争』

一昨々日。NHK教育TVで放送されていたETV特集『ロシアから見た日露戦争〜』というドキュメンタリーを見た。
普段あまり語られる事のないロシア側から見た日露戦争の実体と世界史に及ぼした影響を、ロシア軍の将兵、従軍司祭の書簡、報道資料、機密文書、皇帝ニコライ二世の語録等を通して紹介してゆくと言う内容。関係者の子孫へのインタビューや当時のニュース映像等を挟み淡々とした構成ながらも、なかなか見応えの有る番組でした。
日露戦争といえば「勝利に涌く東京中に提灯行列が溢れていた」と、とうの昔に他界した祖母が少女時代に体験していた記憶を母親を通じて聞いた事が有るのみ。今や当時を知る人は殆ど生存していないことから、語られる事も少なく、ともすれば日本海海戦の勝利など、富国強兵に一丸となって邁進する明治日本への憧憬の対象として美しく語られる事も多いと思うのだが、実体は言う間でも無く、古今東西共通の悲惨な戦争そのものであった。

旅順港や奉天を巡る戦いでは、双方併せて10万にも及ぶ戦死者を出し、銃声や砲声が鳴り止まない戦場で明日死ぬかも知れない恐怖におののきながら故里の家族を思い、次第に国家や皇帝への忠誠心が揺らいでゆく様子を、残された手紙や回想の文面は語っていた。
バルト海を出航したバルチック艦隊も出航早々から誤報による漁船や味方への砲撃によって指揮系統の乱れと操船能力の未熟さを露呈、一向に届かない皇帝の命令を待ちながらの長い回航のうちに士気も低下、遂に対馬沖に到着した時には救援すべき大平洋艦隊はすでに無く、あえなく日本艦隊の餌食となったのでした。
一方国際社会の仲間入りと不平等条約の改正を悲願とする当時の日本は、血みどろの戦いを繰り広げながらも戦争に対して一定のモラルを保っていた様で、帰国を許された将兵達が敵国よりも自国の皇帝への憎しみを募らせ、革命に繋がっていったのかもしれないと思わせるエピソードも紹介されていた。
また、スイスに亡命していたレーニンをはじめとする革命家達に、日本政府から現在の金額で60億にも及ぶ資金援助が密かに行われていたという秘密工作の存在。明治政府とボルシェビキ活動家達との共生関係の事実も、もしかすると歴史に詳しい方々には常識なのかも知れないが(私には)驚きであった。
アジア諸国を巻き込んだ教科書問題は記憶に新しいが、思うに我々現代人は僅か100年前に起こったこの出来事の本当の姿を、社会を、人々を何も知らないのでは無いかと思う。もっとも知らない方が幸せなのかも知れないが。

最後に紹介された帰還兵の息子が語る「結局のところこの戦争は帝国主義による侵略戦争だった、我々は間違っていたのだ」と彼の父親自身の言葉が印象的であった。ソビエト時代を乗り越え、語られるその言葉は、そのまま我々にも返ってくる言葉なのだった。

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