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February 2006

値千金

DVDに録画しておいたオリンピックフィギアスケート女子フリーの中継をようやく見ている。
荒川選手の金メダルの演技は技術、芸術性の調和が見事で、演技内容、衣装、音楽に至るまで全てがシンクロしており、話題のイナバウアー以外の部分にも個性がさりげなく表現されていて確かにすばらしいものだった。
一方「銀盤の女王」スルツカヤ選手にも悲願の金メダルを取らせてあげたい気もするのだが、本人がプレッシャーに負けてしまったのだから仕方が無い、ことあるごとに「運命」を口にするという彼女、それは彼女自身が一番良く解っている事だろう。

大会期間中の読売新聞スポーツ欄に「冬の詩」と題したコラムが連載されていた。連載はアルベルト・トンバ氏の寄稿を最後に大会とともに終了したのだが、荒川選手が金メダルを獲得した翌日の25日、漫画家の槙村さとるという人の文章が印象に残った。
氏は上に行く程リラックス、下に行く程緊張という副交感神経の活動を縦軸に、左は不活発、右は活発という交感神経の働きを横軸に取って人間の自律神経の有り様を分類している。
チャートの左上は「遊びとゆるみのゾーン」
左下は「ウツゾーン」(鬱と表記していない)
右下は「頑張りゾーン」(プレッシャーに負けてしまうアスリートの精神状態はこのゾーンらしい)
右上が「クリエイティブゾーン」最高に集中しながらリラックスしている状態。
同時に他者へと向かうエネルギーの強さを「華」と称して、フィギアスケートのような採点競技で勝つ為には「実力」に加えて「リラックス」+「華」が必要だと言う事。当たり前のようだがあらためて分析してみるととても面白い。加えて氏は「運」もまた日頃の生き方によってコントロール出来ると言う。宗教的な意味では無く、ややこしい生き方をしない、と言う事だ。
今大会で悪運に見舞われたジャンプの原田選手やアルペンの佐々木選手には幸運を招く何かが欠けていた、ということだろうか。
そういえばアルペンスラロームで4位となった皆川賢太郎選手はスタートの時笑っていたそうだ。

さて演技を通して見ると必ずしも下位の選手がひどいのかというと、皆それぞれの国の代表なのだから当然だがそんな事は決して無い。
特に1番目に滑ったイタリアのシルビア・フォンタナは引退後、今大会の為に復帰して来た選手(何と音楽はトゥーランドット)、技術の完成度は荒川選手に及ばないかも知れないがオリンピックの大舞台で滑る喜びのオーラが全身から溢れていて感動してしまった。まさにトップバッターを飾るに相応しい滑りだったように思う。

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トリノオリンピック2

トリノオリンピックもそろそろ中盤戦。日本勢はまだ一つもメダルを取っていない訳ですが、世界でも指折りの豪雪地帯を抱える日本、ウインタースポーツの普及度を考えれば北米や北欧勢に伍する活躍を見せてくれてもよさそうなものだが、なかなかそうも行かないようです。
そんな中でも女子モーグル、クロスカントリー、スピードスケートetcと今回も女子選手の活躍が目立つ。世界の男子選手層の厚さを指摘してしまえばそれまでだが、実際の競技中継を見ると、トップ選手のレベルに男女差は感じられない。
全ての競技を見ている訳では無く、特にスケートは残念ながら殆ど見れていないので何とも言えないのですが、クロスカントリーリレーは面白い。持久力、瞬発力、ワックスマンとの連係など見るべき要素が多くなかなか楽しめる。地味な競技ではあるが冬期オリンピックの基本競技の一つであり、日本のマラソンの普及度、レベルを考えれば雪上のマラソンとして強化次第でさらに上位を狙える可能性が有る様に思われる、もう少し注目されても良いのではないだろうか。
中継を見ていて思わず引き込まれたのは「カーリング」。選手の真剣な表情や緊張感、チーム間の掛け引き、様式美さえ感じられるプレースタイル等々。
氷上のチェスと紹介されているがチェスというよりボーリング、ゴルフ、ゲートボール、オセロを足して4で割った感じ。
オリンピックスポーツの代名詞に『より早く、より高く、より遠くへ』というのがあるが、カーリングはさしずめ『より正確な』というところだろうか。

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トリノオリンピック!

冬期オリンピックトリノ大会が始まりました。
普段TVで中継される事が少ないマイナーな競技がたっぷり見られるのがオリンピックの魅力、この特盛り感、何だかんだ言っても競技に釘付けになってしまいます。
大会開始早々に始まった女子モーグルは日本人最上位の上村選手が5位と残念な結果に終わったが、世界の強剛に伍して5位と言うのは考えてみれば(考えるまでも無く)大したものだし、20代半ばを過ぎてから宙返りしたり捻ったりを会得するのは並大抵な事ではあるまい。
この女子モーグルの他に今日までのところ面白いと感じた競技は、ゴール直前のデットヒートに毎回ハラハラさせられるクロスカントリー。迫力ではダントツのアルペンスキーダウンヒル等。これらに比較すると楽しんでおられる皆さんには申し訳ないが、スノーボードのハーフパイプは競技としてやや物足りなさを感じてしまう。日本勢も振わず、少々メディアが騒ぎ過ぎではないだろうか?

取急ぎ今日のところはここまで、
ジャンプの中継でアナウンサーがテレマークも決まった!を連発するのが気になる。少し空しい。
テレマークスキーのレースをオリンピックで見てみたい。

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鎮魂の海・・男たちの大和

今更ながらというか、遅ればせながら『男たちの大和』を鑑賞しました。
さまざまな媒体から既に伝えられている通り、戦争賛美の映画では無く、かと言ってあからさまな反戦映画でも無い。戦争の時代に生き合わせて当時の日本の技術と文明の象徴であり、且つ「空前絶後の無用の長物」(プログラムより)に乗り合わせた若者達の壮絶な生き様、死に様をある部分は情感たっぷりに、又ある部分は淡々とあるいは冷徹に描き切った作品で、私も思わず落涙しそうになりました。
一方、以前TVで(筑紫哲也氏だったか?)が監督の力量と言っていたのを記憶しているが私も同感、なにせプロデューサーは角川春樹だ。
角川映画の成功で人生狂ってしまった感のある春樹氏だが此所へきてまともなプロデューサーとして頭角を表して来たのかもしれない、まあ私などが言うのもおこがましい限りではあるわけですが・・
『プライベートライアン』以降、第二次世界大戦モノは勿論、『グラディエーター』のような歴史劇に至るまで、映画においても中途半端な戦闘描写、心理描写は許されなくなったと思うのだが、この作品もその流れに乗っている。戦闘場面ではかなり惨たらしいシーンも逃げる事無く描かれており、過去と現在が交錯しながら物語が進展する構成も似かよっている。
映画では鈴木京香演じる内田兵曹の養女が大和が沈没した海域へと向かう途中、生存者である神尾から当時の体験談を聞く事になる。後で知ったのだが、物語の核であるこの内田兵曹の養女のエピソードは事実に脚色を加えたものであるらしい。
沈没の海域に行く事は過去へと時間を遡る事であり、内田の本当の最後を見届けることは神尾自身が自らの生き長らえた意味を理解する事でもあった。監督はこの現代のエピソードに「鎮魂」の在るべき姿を表現したかったのかもしれない。この映画には靖国の名は全く出てこない。靖国参拝論争につきまとう観念論、宗教解釈、政治論争に対して、鎮魂とは死者達と場所を共有し、追体験をする事でしかありえない。そんなさりげない抗議の様な気がしてならないのです。

それにしてもプログラム、大きすぎます。

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