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宇宙戦争

かつて日本の映画、小説界にも空前のSFブームを巻き起こした「スターウォーズ」VS「未知との遭遇」以来約25年(26年?)。当時とは技術も思想も社会情勢も異なる現代という時代に向けて、いまやアメリカ映画界の重鎮となったルーカスとスピルバ−グ2人の映画監督によるSF世界を舞台にしたガチンコ対決が再現された。

東西冷戦の最中、時代の気分を反映してか悪の帝国との明確な戦いを展開した「スターウォーズ」に対して「未知との遭遇」や「ET」といった作品で友好的な宇宙人を描き続けたスピルバーグ監督だが、テロリズムが蔓延し文明の衝突、地球環境異変という新たな危機に直面しつつ在る現代、さすがのスピルバーグ監督も「侵略者としての宇宙人」を描かざるを得なくなった様だ。

突然の嵐と雷鳴を伴って地球に来襲する侵略者達、町中に突如出現した戦闘機械トライポットにより何が起きたのか訳も解らないまま「駆除」されていく人類。(スチームなど吐いてコミカル且つ無気味なトライポットのデザインは、有名なタコ型宇宙人を連想させるなかなかの傑作だと思う)
侵略者達の攻撃は、ただひたすらに好戦的、無慈悲且つ無敵であり、逃げまどう人類にとってはその意味も目的も知る由はない。このあたり「ジョーズ」に登場するホオジロザメや「激突」のトレーラーなど、かつてのスピルバーグ作品にしばしば表れたテーマと共通性が在るように思う。

突如襲って来た未知の敵に訳も解らないまま蹂躙され、切れかかった絆をかろうじて繋ぎ止めようとする親子を描いた序盤。アメリカ人がかつて経験した事のない難民の大量発生、群集心理に拠るパニックの恐怖。何の理由も明らかにしないまま全てを破壊し尽くす戦闘機械の攻撃から必死の逃避行を続ける前半。遂に逃げ場を失い閉じ込められて密室劇の様相を呈する後半。そして少々呆気無い幕切れ。
この種の映画にしばしば使われる「人間ドラマが描かれていない」という評価も、親子の絆、群集心理やパニック、密室での恐怖などがきちんと押さえられていて安心して?見ていられる。加えて川面に浮かぶ死体。炎に包まれ爆走する列車を前にしても特に驚く様子も無く遮断器が上がるのを待つ群集の不気味さ、娯楽性の中にリアルな恐怖感を巧みに織り込んで見せる手腕はさすがだ

その気になればウェルズの原作を大胆に脚色してよりドラマチックなラストにすることも出来たと思うが、敢えてそれをせず、呆気無い程の幕切れとしたのは何故だろうか。勿論SF小説家の草分けであるウエルズへの敬意もあるだろうが、人知を超えた力に人間の文明は無力だと言う事、人類を救う事と成るのは我々人類も含まれる地球に生きる生命の営みそれ自体であったとするラストはむしろ現代にこそ通用するテーマであって変更する必要性無し、と判断したのかもしれない。その意味で「インディペンデンスデイ」の様なマッチョで退屈な解決法々を選ばなかったのは全く正解だと思う。ラスト近く、凶悪だった筈の戦闘機械にカラスがとまっているシーンが非常に印象的だ。またこの映画の主観は何度も言う様に突如として未知の敵に蹂躙され、かつて経験した事のない想像を絶する危機、逃避行を強いられる一アメリカ人家族の視点であって、多分同時進行的に何処かで行われている筈の「政府や国家」対「宇宙人」を描いているのでは無い。タイトルに反して国家規模での戦争を俯瞰している訳では無いので、唐突に登場してエイリアンにコテンパンにやられる軍隊の攻撃が小規模散発的に感じられるのも至極当然なのだと思う。むしろ100万年もの時間が有りながら学習する事の無かったエイリアン達の無知、無謀さはイラク戦争の泥沼に嵌り込んだアメリカと脳天気な大統領に通じるアイロニーの様な気がしないでもない。

一家族が体験した異星人との戦争の姿。「世界戦争」という原題が皮肉だ。

war_of_the_worlds


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