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ローマ法皇の死去に思う

4月2日に亡くなったローマ法皇ヨハネ・パウロ二世の死を悼んで、その弔問に参列する為に数百万もの人々がバチカンを訪れているらしい。たまたまこの場に居合わせたクリスチャン以外の観光客にとっても一生に一度の貴重な体験となったことだろう。自身の意図に沿っていたかどうかはともかく、国際社会の大変動期に生きあわせ、結果として大きな政治的影響力を持ち続ける事と成った前法皇の業績への改めての回顧の波とともに、その死が再び世界に静かな衝撃を与えつつ有るようだ。
内には厳格な保守主義者でありながら外に対しては開明的な「空飛ぶ聖座」であったと言われる法皇。東西冷戦終結に代表される国際政治に及ぼした影響力、イスラムやユダヤ教を初めとする異宗教異宗派との交流、カトリック教会の過去の過ちの是正等々、国境を超えた10億カトリック信者のリーダーであるに留まらず、国際社会に多大なる貢献を為した偉大なる法皇として、歴史に名を留める事になるのだろう。
一方最後まで実現出来なかった事としては、中国訪問と並び11世紀に遡る東方正教会との断絶の解消があげられている。共産主義体制下の中国はともかく、ロシアとの関係にも直接的な影響を与える東方正教会との不和は、近親憎悪にも似て隣り合う者同士の相互理解の難しさを連想させます。

葬儀に列席する為に各国から元首、閣僚級要人が集まるローマ市当局の苦労は大変なものだろうと推測されるが、厳格なイスラム国家イランのハタミ大統領ですら出席するという葬儀であり、絶好の弔問外交の機会であるにも係わらずなぜか小泉首相の出席は無いようだ。キリスト教徒人口が総人口の1%にすぎない日本なのでまあ仕方が無いとは思うが、政権の一翼を担う"あの"勢力への配慮では?などと勘ぐってしまったりして。。。まあそれ以上は止めておこう。
誰にでも訪れるこの世との別れ。それを考える事は辛くせつないが、法皇御自身は心静かに神に召されたのだろうか。

ところで法皇の死去を悼む言葉として多くの方が使っている「御冥福をお祈りします」という言葉は、厳密には適切な表現では無いらしい。法皇は冥土に行ったのではなく、神に召されたからなのだ。050405_cherry_blossoms_01

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